自己紹介にも書いてあるが、私は猫が大好きである。
ずっと猫と共に暮らしてきた。
しかし実は幼い頃、私は全ての動物に対し異常なまでの恐怖心を持っていた。
その辺を散歩中の犬がいたら怯えて母の尻にくっついて離れず、野良猫が道を歩いていようものならその野良猫がいなくなるまで通れずにいたほどだった。
(自分でも何が原因でそんなに動物を怖れていたのかは全く心当たりが無くわからない)
私が幼かった当時、住んでいた我が家の真裏のリナさん家に「ももこ」という名の黒いメス猫が住んでいた。
この「ももこ」は、我が家やご近所さんの家の玄関や窓に現れては「ミャー!ミャー!!」と鳴いてアピールし、
「どうしたの?家に入りたいの?」と人間が菩薩心を見せた瞬間に上手く家に入り込んできた。
だが家に入るだけでは終わらないのが、ももこ。
家に入り込んだももこは、上目遣いで人間の目を見つめて「ミャー!ミャーー!!」と再度アピールする。
すると人間は「なぁに?ご飯??」とか何とか言って、ご近所中がももこに何かしら食べ物を与えていたのだ。
各家でご飯を貢がせて腹いっぱい食べ、思う存分くつろいでからリナさん家に帰っていくという、何とも厚かましいが気ままでうらやましい生活をしていた猫なのである。
ももこが毎度我が物顔で家に入ってくるなり私は、
「うぎゃぁぁあーーー!!!ももこーー!!!怖いぃぃい!!やだーーー!!!!」
と発狂しテーブルに飛び乗って、ももこが立ち去るまでギャーギャーと叫び泣き続けた。
母は私の怖がり方を見て「これは異常だ。」と感じ私の将来をとても心配したらしい。
私の極度の動物嫌いを何とか克服せねばと思っていた母は、ある日リナさんから「ももこが子猫を産んだ!」
と聞きつけ、ももこが産んだ子猫を1匹引き取ってきた。
この子猫が、私が初めて共に過ごした「でんすけ」という名の、世界一目つきの悪いオス猫である。
でんすけはとてつもなくあっという間に成猫になった。子猫だった頃の記憶なんて全く無い。
ただ、大きくなるにつれどんどん目つきが悪くなり顔がでかくなり、物凄い仏頂面のヤクザ顔の猫に成長した。
ヤクザ顔ではあるもののでんすけはとても優しい奴で、私がどんないたずらをしても本気で怒ることが無かった。
幼かった私が乱暴に尻尾をぎゅっと握っても、肉球をしつこい位グリグリしても、頭をペシっと叩いてみても、赤い輪ゴムを尻尾にぐるぐる巻きつけてみても、
ただとても面倒そうに睨みつけてくるだけ。
「あぁー、うぜぇ。そうゆうの、マジだりぃから。」と言わんばかりの表情である。
反撃してきたり、怒りの声をあげたりすることは決してなかった。
家のすぐ隣には大きな公園があり、でんすけはその公園全域を縄張りにしていたようである。
母とスーパーに行くために公園を突っ切って歩いていると、でんすけも公園から出る所までいつもついてきた。
そして買い物が終わった帰り道、公園に入った瞬間にまたどこからともなく現れて、一緒に家に帰るのである。
「遅かったじゃねえか。待ちくたびれたぜ。早く帰るぞ。」
ドヤ顔で私たちの先を歩いているでんすけの肛門を見つめながら、イケメンなセリフを思い浮かべたりしていた。
「でんすけは常に私たちを護衛しているつもりだったのかもしれないな。」
こんな風に思ったのは、でんすけが永眠して何年も経ち、私が大人になってからのことであった。
でんすけとの暮らしは時間にすると短いが、その分とても濃密で、その人生は実に破天荒だった。
今でもはっきりと思い出せる。
荒木さんという近所のおっさんがせっせと汗水垂らして耕した、ふっかふかの畑の真ん中で私を見つめながらウンコしてた姿。
「ここ、ふかふかだぞ。おめぇもさっさとウンコしろ。」と言っているように見えた。
遠くから見ていた私はでんすけのドヤ顔が可笑しくて笑いが止まらなかった。そりゃふかふかだろ。荒木のおっちゃんがヒィヒィしながら耕してたんだからw。
全く家に帰って来なくなって、もう家族全員がでんすけは死んだんだと諦めかけた時、体中血だらけのズタボロになって帰ってきた。
どうやらメスを追いかけて行った先での、オス同士の闘いに負けてしまったようであった。
その後、母が用意してくれたタオルを敷いた箱に入って何日も何日も動かず、鳴かず、飲まず、食わず、ただじっと痛みに耐えていた。
動物は「痛い」「苦しい」って言えないんだ。と初めて知った。可哀想で泣きそうになったが必死にこらえた。
元気になってからは、どう見ても自分の体が入りっこない小さなカゴに無理やり入って、でかい顔を埋めてエスカルゴみたいになって寝ていた。体中の色々、はみ出ていた。
私がお祭りで買ってきた、チューブに蛍光塗料が入ったブレスレットを何故か大興奮で嚙みちぎり、口元をだらりと怪しく光らせて父を心底驚かせていた時のドヤ顔。
蛍光塗料が体に悪くて死んでしまわないかと心配したが、その後もピンピン生きていた。
当時一人っ子だった私には、でんすけが初めての相棒だった。
始めはでんすけを弟のように思っていた。
しかしいつの間にかでんすけが私を追い越して兄になり、いつの間にか私がお世話をされる側になり、そのうちあっという間にこの世から居なくなってしまった。
でんすけとの日々をこんな風に愛しく思うのは、でんすけが私たち家族を愛してくれていたからだろう。
愛は一方通行じゃない。猫にだって愛はあるのだ。
私たち家族は、でんすけがこの世を去ってしまいその悲しみの大きさ故、もう猫や動物と暮らすのはやめよう。
なんて結論には全く至らなかった。
でんすけのおかげで猫や動物が大好きになって、共に過ごす日々がどれだけ楽しくて心癒されるかを知ったから。
だからそれからも我が家は、猫と共に暮らし続けてきたのである。
さて、最近たまたま、「ペットとチャネリングしてみよう。」というような内容のYouTube動画を観た。
今までペットとチャネリングしてみようと考えつかなかった私は「それは面白い!やってみよう!」と思ったので、早速実家にいる猫の「チャー君」にチャネリングするために、チャー君のことを考え始めた。
チャー君はとても神経質で頭が良く、人の顔色をいちいち伺う、犬みたいな性格の猫である。
それに自己主張が激しい。オシッコする時は「オイラのおしっこ終わるまで見てろ!!」と言ってくる。
チャー君がエキサイティングしたい時は「おい!オイラと遊べー!!」としつこく言ってくる。
家中をパトロールする際は「オイラについてこい!パトロールだ!」と言う。そしてちゃんとついて来てるか何度も振り返って確認する。
遊ぶより昼寝したい時は、あからさまに「オイラ、今は付き合ってらんない。」という表情をする。
朝は窓の外を見つめながら瞑想にふけり、瞑想してると気分が良くなるらしくその内うとうとと寝てしまう。
ここで急に、気が付いた。
「チャネリングしなくても、猫の気持ちなら、わかっちゃってるかも…(⊙ˍ⊙)」
思えば私は先代猫たちに関しても、家族から
「ねぇ今鳴いてるけど、なんでなの??」と聞かれて、それに答えてきた。
「なるほどねー、あ、本当だ!よくわかるねー!」なんてこともよく言われた。
私 「これって…、チャネリング…なのかなぁ??」
まぁ本当のところどうなのか私にはわからないのであるが、でもこれって動物と暮らしている人は常日頃から自然にやっていることのような気がする。
よくワンコと見つめ合って会話しているおじいちゃんおばあちゃん、いるでしょう。まさにそれもチャネリングではないか。
言葉が無くても通じ合うこの感覚は、とても不思議で楽しい。見えないけど、確実に何かはあるよね。という感じ。
私たちはつくづく、見えない何かの流れの中に生きているんだなぁと思い、わくわくした。
最近、母は今までよりもチャー君と会話をしているようだ。
是非チャー君との絆を深めていって欲しいと思う。
私が思うに、チャー君は父と母のことを自分の「家来」と思っているようである。
妹のことは、以前同居していた自分の「世話係」まあ家来みたいなもんだ。
私のことは、いきなり家にやって来ていきなり去って行く、「言うことを全く聞かない使えない部下」。
チャー君にとって私たち家族のポジションがもう少しランクアップするよう、これからも意思疎通の努力はせねばなるまい。
チャネリングしてみようと思った結果、こんなことを考えついたのであった。
話は変わるが、今思い出したことがあるので最後に綴らせていただく。
ある時「ももこ(でんすけの母猫)が車に轢かれて死んでしまったから、お別れ会をする。ぜひ出席して欲しい。」とリナさんが号泣しながら我が家に伝えに来た。
たまたま自転車で出かけたリナさんはももこが道端で車に轢かれて亡くなっているのを見つけ、抱きかかえてそのまま帰ってきたそうだ。
ももこを知るご近所中がリナさん家に集まって、泣きながらももこにお別れを告げていた。
するとまさにその時、死んだはずのももこが尻をフリフリしながら何食わぬ顔で帰ってきたのだ。
そこに居た全員が一瞬言葉を失い、次の瞬間、
「ももこーー!!?生きてる!!!!」
「えっ!?じゃあ、この子は…!!??」
ももこが生きていてくれてビックリ嬉しいやら、でも事故で死んでしまった猫は本当に気の毒やらと、
現場に蠢く感情は大パニック。
とにかく泣いたり笑ったりはたまた悲しんだり、てんやわんやの謎の集会となったのである。
皆で亡くなった猫を弔い、ももこの無事に感謝した。
しかし当のももこはひたすら毛づくろいに勤しんでおり、我々の気持ちを微塵も気にしていなさそうなその姿は本当に滑稽で可笑しくて、今だに我が家の強烈な思い出として語り継がれているのである。
おしまい。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました☆彡
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