注:この記事は、私なりに辿り着いた瞑想の方法や私個人の体験と感想が書かれています。しかし、方法に関しても歩みに関してもここに全てを記しているわけではありませんのでご注意下さい。加えてこれは私個人の体験記であり、同じことをすれば似た体験ができるというようなことではありません。
瞑想にはリスクもデメリットもあると言われています。人により向き、不向きもあると思います。
正しい知識と瞑想方法は各自で十分ご確認頂いた上、ご自身の責任で行って頂くようお願い致します。
私の自己紹介記事の【趣味】の欄には、瞑想と書いてある。
瞑想とは言っているが、詳しい人からすると私の言う瞑想など、ちゃんちゃらお話にならないレベルの『なんちゃって瞑想』である。
ヨガの達人など、本気度の高い方からしたら『そんなの瞑想じゃない!舐めとんか!』と怒られてしまうだろう。
趣味の欄を『なんちゃって瞑想』に書き換えた方が良いとさえ思う。
それでも、この記事を書くにあたり本文冒頭の赤文字の注意書きを添えたのは、私的「瞑想、やってみた。」体験を綴った結果、もしかしたら『自分もやってみよう。』と思い、実践する人が居るかもしれない!と、私なりに真剣に考えたからである。
そのため瞑想には少なからずリスクやデメリットもあるとされていることをお伝えしなければ。と思ったのだ。
しかし、私が真剣に書き上げた注意文を読んだ夫が、冷静沈着に
「心配しなくても、誰も真似しないよ。」と一言、言い放った。
私は「そうだよね。あはは…」と力なく笑い、一瞬、自分の影響力の乏しさに少し悲しくなったが、むしろその方が安心だわ。と思い、安堵した。
しかしそれでも、小心者の私はリスクを怖れ皆様の安全を考慮し、注意文はあえてそのままにすることにした。
瞑想のメリットなんかはネットを調べればたくさん出てくるので細かい説明は控えさせて頂くが、私はとにかく安心感と温かさに包まれ、自分が楽~になるから「なんちゃって瞑想」を今も続けている。
病院の待ち時間や電車移動などが発生したら、それは私にとっては正に「なんちゃって瞑想」のチャンス到来!の嬉しい時間である。
なんだか異様に姿勢良く座って、深く深呼吸してて、どっかと交信してそうな見た感じ狂った女がいたら、それは私の可能性が高い。
今や「なんちゃって瞑想」は私の大切な趣味となっているわけであるが、実は最初から上手くできたわけでは無く、これにも私なりの紆余曲折があった。
私がなんちゃって瞑想よりも先に取り掛かっていたのは、「内観ワーク」というものだった。
この「内観ワーク」を進めていく内に、自分自身との対話が増えて行った。
これまでの人生では「不安」・「恐怖心」・「他者への批判」・「人類に対する怒りと罪悪感」などに支配されていた私だったが、内観ワークに取り組み始めると、それまでは考えたこともなかった
「本来の自分」・「自分の魂」・「自分の思考の癖」
などに少しづつ興味が湧いて改めて考えるようになり、毎日何かしら自分自身と向き合いながら、手放すべきものは内観ワークでどんどん手放してきた。
因みにこの「内観ワーク」のやり方について、私は家族や友人に、自分の体験を踏まえて事細かに話して来た。
私としては「みんな、とにかく楽になるからやってみようよ!私は内観ワークのおかげで毎日ハッピーだぜ☆」と、純粋に思っていたのだ。
勿論、聞きたくない人に無理やり聞かせたりはしないのだが、アンチスピリチュアルの夫以外は皆優しく、興味を持って私の話を聞いてくれた。
いきなりわけのわからん精神世界の修行みたいなことをおススメされて、一歩間違えてたらめちゃくちゃ嫌われていたかもしれないのに、今思えば皆よく真面目に私の話を聞いてくれたなと思い、感謝している。
そして話し終わると、その内容を聞いた全員が揃って「無理!私には無理!絶対にできません!」と言い切った。
初めて絶対無理!宣言をされた時は「いやいや、わかるよ!ちょーっと、難しいよね?でもさ、とにかく根気を持ってやってみたら、絶対に誰でも出来るって!だって、私でもできたんだよ!」
などと、非常に根拠が乏しく虚しい説得をしていたが、
全員が全員、「無理!」と言うのだ。「あぁ、きっと本当に無理なのだろうな。」と、6人目に話した時にやっと理解した。
それからも一応、私の話に興味を持ってくれる人にはちょこちょこ話してはいるが、もう自分から内観ワークをおススメするのはやめたのであった。
さて、私の毎日のルーティンとして定着した内観ワークだったが、身も心も順調に軽さを実感するようになって来た頃、私は内観ワーク後に数十分間の「プチ瞑想タイム」を取り入れ、ルーティンとして追加していた。
ここで言う私的・プチ瞑想で目指していたのは、『自分の意識』をどこまで無に近づけて、どこまで遠くまで飛ばせるか?というものであり、毎回が挑戦だった。
なんだかわからないけど、心が軽~くなってきたと感じた時になんとな~く、
「もしかしたら、このまま宇宙まで、自分の意識を飛ばせるんじゃないかな!?」と、ふと思いついてしまったからである。
何故こんなバカげたことを思うのか?思いつくのかは自分でもわからない。
どうしようもなくどうでも良さそうな『本能』か『直観』としか言いようがないのであるが、この頃は「とにかく思いついたら、とりあえずやってみよう。」というポジティブな行動力が私に染み付いていた。
このポジティブは大好きな斗司夫ちゃんのノート術のおかげである。ありがとう、斗司夫ちゃん。
というわけで、ルーティンのプチ瞑想時には毎回「自分の意識がどこまで上昇できるか?」を、ひとり試していた。
ここまでの話で「おいおい、何わけのわかんないこと言ってんの?もうついて行けないよ」とお思いの方がいらっしゃるかもしれない。
実は私は、もともと妄想力だけは爆発しているため、SF的な思想や、目に見えない「何か」、目に見えない「エネルギー」や「意識」に対して、何の抵抗も無いのだ。
むしろ目に見えないだけで、それらは全て当たり前に存在しているのだろう。と思っている。
20年程前にサンテグジュペリの「星の王子様」を読んで、私は
『いつだって大切なものは、目には見えない。』という言葉と、その小説の内容に衝撃を受けた。
以来、これがこの宇宙の全てなんじゃないか?と思って生きて来たことが、目に見えない『何か』を肯定する考え方に大きく影響していると思う。
「は?それとこれとは話が別だろ。」と言われれば、その通りかもしれないのだがとにかく、私にとっては、愛も高波動も思いやりも自分の意識も、どれも目には見えない同じようなモンなので、どうか大目に見て頂きたい。
そんなわけで話を戻すと、プチ瞑想を始めた当初は15分経っても私の意識は地球から脱出することすら全く出来なかった。
しかし、私は宇宙の果てまで自分の意識を飛ばしたかった!
それにこの時は集中できる時間も非常に短かった。そのため「まだまだだな。」と真剣に思ったのである。
そこで私は、YouTubeの様々な「誘導瞑想」の動画を観てみた。
そして「本腰を入れて瞑想をやってみよう!」と決心し、それまでもカードリーディング動画をよく観ていて大好きだったLITAさんという方の動画で、とりあえずやってみた。
先ずは、楽にあぐらをかいて座り、リラックスする
そして全身のポイント(LITAさんが教えてくれる)を、順番に緩めていく
心地よさを感じながら、自分の思考に「今は何も考えなくていい時間だよ」と、思考を休ませる許可を出す
安心とリラックスに包まれる
思考が浮かんできても、それはそれで放っておけば良い。「無にならなければ」と焦ったり、浮かんだ思考を消そうと否定する必要はない
やり方は大体こんな感じだったと思う。
私はひとりの時間に、リビングで内観ワークを行った後、この誘導瞑想に取り掛かった。
LITAさんのゆった~りとした声に身を任せ、言われた通りにした。
しかし、LITAさんに言われた通りに順調にやってきたところで突如、私の体に異変が起きた。
『あれ?なんか、おかしいな…地震か???』
…だがどうやら地震ではないようだ。家中の何も、揺れていない。
よくよくこの違和感を観察してみた。すると、
「ぐーるぐーるぐーるぐーる…………」
と、何と、自分の上半身が時計回りに円を描いて揺れているではないか!!
「ななな、なに!?なんで!?ぐるぐるしてるんですけどー!!!」
私は自分の意志と関係なく自分の体が大きく動いていることに非常に驚き、慌てふためいた。
「もしかして!?なんか、よからぬ存在に、憑りつかれた!?いやーー!!こわいー!!」
と、頭の中は大パニック!!そして体はぐーるぐーるぐーると大きく円を描きながら揺れている!
すると、遠くからLITAさんの落ち着いた心地の良い声が私の耳に聞こえてきた。
「もしかしたら~、人によっては~、体が自然に揺れたり動いてしまってびっくりしちゃう方もいらっしゃるかもしれません。でも~、特に問題ないので、大丈~夫です。とにかく揺れても~、その揺れに身を任せる~くらいな感じで~。」
「え!!ちょっとLITAさん!!!!私の場合、揺れに身を任せるなんてレベルじゃない気がします!上半身がぐわんぐわん大きく円を描いているのです!!!自分で酔ってきてますー!!!」
私がこう心の中で叫んでも、LITAさんは相変わらずゆった~りと私に語り掛けてくれていた。
初めての本格的な瞑想は、体の大きな揺れのおかげで大パニックに陥るという結果となったのであった。
自分の意志と関係なく体が勝手に動くという恐怖体験をした私は、ネットで必死に調べた。
『瞑想 体が揺れる』
たくさんのブログを読み漁った末、私と同じような状況になり、その原因を調べ、瞑想の達人(本当かどうかは私にはわかりません。)から教わったことがある方の記事に辿り着いた。
申し訳ないことにどなたの記事だったのかは覚えていないのだが、そこに記されていたのは
瞑想中、体が大きく円を描くようにぐるぐると動いてしまう場合は
大きすぎるエネルギーを体が受け止めきれずに取りこぼしている状態。
これを放っておくのは、あまりよろしくない。
というようなことだった。
その他の情報には『瞑想中に覚醒し、トランス状態に入った場合も体が揺れることがある。』と、割と瞑想の基本的な知識として沢山の方が書かれていた。
様々な情報を得たが、恐らく私の場合はエネルギーを受け止めきれていないのだろうな、と思った。
なにせ、この時初めて誘導瞑想をやってみたド素人なのだ。いきなり覚醒してトランス状態になれるわけがないだろう。と、お調子者の私が珍しく冷静な判断を下せたのだ。しかし
「それにしても、瞑想中に宇宙からのエネルギーを受け止めるとは!?それ、なんだかわかんないけどめちゃくちゃカッコいいじゃん!」
…と、先程の冷静な判断は見事一瞬にして吹っ飛び、「大きすぎるエネルギー」を勝手に宇宙からのエネルギーだと決めつけ、皆様ご存知の通り宇宙やUFOが大好きな私は、予想外の答えに辿り着いて非常に驚き、やる気は倍増した。
それにエネルギーが受け取れない状態は問題なのだが、そもそも!私は瞑想がしたいのだ。そして自分の意識を宇宙の果てまで飛ばしたいだけなのだ!
このまま身体がぐーるぐーると回転してしまっては、いつまで経っても私の目指す瞑想に辿り着くことはないだろう。
この問題に直面し、では次はどうしたらエネルギーを受け止められるようになるのか?体がぐるぐるしなくなるのか?を調べてみた。
すると、どうやら「グラウンディング」が有効であるとわかってきたのである。
グラウンディングとは、自分と地球を意図的につなげて、精神(スピリチュアル)的なエネルギーと身体的(フィジカル)なエネルギーのバランスを取ること。
なんだか難しそうだとは思ったが、少し調べてみるとグラウンディングに関するイメージワークの情報や動画も世の中には沢山溢れていたため、「なんてありがたい世の中なのか。」とこの世界のテクノロジーの進化に感謝しながら
「じゃあ、とりあえずグラウンディングも毎日やってみるしかないな。」
というわけで、毎日の内観ワークに「グラウンディング」と「誘導瞑想」が加わったのだった。
これを毎日地道に続けていると、よくわからないけど少しずつ意識を上昇できるようになってきているような感覚があり、ぐるぐる時計回りに回転する体の揺れも、少しずつ少しずつ起こらなくなって行った。
そしてその頃にはLITAさんの声による誘導瞑想から、自分流の「なんちゃって瞑想」に進化していた。
『意識を宇宙の果てまで飛ばす』という私の挑戦に関しては、上手く上昇できるか・できないかは、その日の自分自身が把握できない自分の状態が影響する気がしたので、「今日は無理かも」とか「上手く行かないな」と、微かにでも感じたら執着せずに止めることも大切なような気がした。(根拠はない。)
私はひとりで楽しくこのルーティンを行っていたのであるが、宇宙からのエネルギーを受けとって、自分の意識を宇宙まで飛ばしたい一心で自ら始めたこの行動のことは流石の私でも誰にも言えなかった。
誰にも言ってないもんだから誰にも止められることなく、ひたすらそれを続けていたある日、いつも通り自分流のなんちゃって瞑想をしながら、意識をひたすら上昇させて宇宙の果てを目指していた。
この日は調子が良くとても順調だった。いつもは絶えず浮かんでくる様々な思考が、この日はとても静まっている気がして、「感じる」ことに集中出来ていた。
以下は、この日に私自身が書き残した記録である。
内観トレーニング、ブロック解除、フラーレン呼吸を終えた後の瞑想中、初めて、宇宙?魂?ガイドさん達?ハイヤーセルフ?何なのかわからないけれど、なんとなく宇宙?からメッセージを感じたから書いておく。
「良くやりました。いつも見ているから、大丈夫。」
(補足) 頭の中が良い感じに静まって「感じる」ことに集中した時、目を閉じている時のエネルギーの流れが急に変化して、意識がとてつもなく軽くなって上に上に吸い込まれるようにして上がって行った時に感じ取れたメッセージ。
…「そんなの嘘だ。」とか、「勘違いだろう。」とか、「ただのお前の妄想だろ。」と指摘されるであろうことは理解している。これは私の主観以外の何物でもないわけで、当然、メッセージを受け取ったことが事実であると証明も出来ない。
だから私は、この時自分が感じたこと、思ったことをお話しさせて頂く。
突然過ぎる事態にも関わらず、非常に怖がりな私が、不思議と恐怖や不安などを感じなかった。
むしろ、何故かわからないが感動してしまって、涙が溢れ、その場で泣いた。
客観的に自分を見つめてみると、本当にヤバい奴だと思う。目を閉じて瞑想してたのに、いきなり嗚咽し泣き始めるのだ。大の大人が。
しかし、私の意識みたいなものが、何処だかもよくわからない場所で、誰だかもわからない誰かに、なんか無条件の愛みたいな温かさで受け入れてもらえたような、初めての感動で涙が止まらなかった。
その時、私の内には『ありがとうございます』以外無かった。
私はメッセージを受け取るためとか、高次元の存在と繋がりたいから上昇したかったわけでは無い。
ただ私自身が「とりあえず宇宙の果てまで自分の意識を飛ばしてみたい!」と思い、なんだかわからないワクワクした気持ちが原動力となり、やるべきことが明確になり、それが正解かなんてことはわからないが、毎日ひたすらコツコツ行動し続けて来ただけだった。
それだけなのに、辿り着いたのは、私が想像もしていなかった優しさとか、無条件の愛みたいな温かさとか、なんだかわからないけど、そんなのが溢れているような感覚の世界だった。
そこに不安や心配事など全く存在しなかった。そこに在るのは、余計なモノが剥がれ落ち、以前より軽くなれたと思える私自身。
自分がやりたいことを続けていただけなのに、その結果こんな思いもよらないボーナス体験があるなんて!
「他人や現実は、一切関係ない。重要なのは、自分自身。」
並木良和さんが、繰り返しYouTubeで教えてくれていたことを思い出した。
『今のスピリチュアルって、もしかしたら、本当にこういうことなのかな…。だとしたらマジで、この時代で、良かったー!めちゃくちゃ楽しいじゃん!!w(゚Д゚)w』
と、心から思ったのだった。
そしてこの体験をした晩に見たのが「スピった夢」で記した、夫と共に超大量のUFOに遭遇し、UFOと共に行く決意をするという、あの夢だったのである。
因みに、今のルーティンには全身のチャクラの活性化が加わり、チャクラに思いっきり話しかけている。
グラウンディングも以前とは比べ物にならないくらい怪しげな格好で行っており、「内観ワーク」もひとりで声に出しながら行うなど、様々なヤバい進化を遂げている。
我が家にもし盗聴器がしかけられていたとしたら…。
盗聴主よ、それはそれは恐ろしい体験をするだろう。
おしまい
もう最近はむやみに上昇していません。上がった分だけちゃんと自分に戻ることも重要だと学びました。最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
注:この記事は、私なりに辿り着いた瞑想の方法や私個人の体験と感想が書かれています。しかし、方法に関しても歩みに関してもここに全てを記しているわけではありませんのでご注意下さい。加えてこれは私個人の体験記であり、同じことをすれば似た体験ができるというようなことではありません。
瞑想にはリスクもデメリットもあると言われています。人により向き、不向きもあると思います。
正しい知識と瞑想方法は各自で十分ご確認頂いた上、ご自身の責任で行って頂くようお願い致します。
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