私は昔から神社が大好きだ。
旅行の楽しみといえば、旅行先の土地の神社に行ってお詣りをすることである。
旅行が決まると「るるぶ」を購入して、行きたい神社を総チェックして夫に報告する。そしてそれをもとに夫が旅行の計画を立てるのだ。
夫は旅行そのものよりも計画を立てることの方が断然楽しいらしい。旅行に行く前が最もテンションが高いという、何とも変わった男である。
しかし旅行当日になると、いつも通りの超絶冷静夫に戻っているのだが。
さて、神社が大好きな私は、お詣りに行った際、気が向いた時にだけ「おみくじ」を引くことがある。
「おみくじ」は、その神社の神さまからのメッセージと思って受け止めている。
これはかなり昔に誰かから教えてもらった受け売りの知識である。
これを聞いた単純な思考回路の私は、それから大吉も小吉も大して重要ではなくなり「神の教」の欄とか、表面に書いてある「歌」の内容の方が楽しみで、何が書かれているか非常にドキドキわくわくするようになったのである。
そして、以前はおみくじを神社の決められた場所に結んで帰っていたが、いつしか大切に家に持ち帰り、保管する習慣が身についたのだった。
昔から気が向いた時にだけ私だけがおみくじを引いていたのだが、近頃は私が「おみくじを引く」と言うと夫も一緒に引くようになり、実はこのことがきっかけで私はあることに気がついた。それは
「なんか、神さまから私へのメッセージ、スパルタじゃない?」
ということである。
このことに今まで気がつかなかったのは、いつも私ひとりがおみくじを引いていたからだった。
それが夫も引くようになり、お互いに読み合ったりすると、
「あれれ、なんか神さま、夫には異様に優しいな…?気のせいかな?」ということが毎回のように起きるのである。
早速ご説明させて頂こう。
ある時、私が引いたおみくじ「神の教」の内容
過ぎたくり言、とり越し苦労、神の授けの身をやぶる
とり返しのつかぬ過去の事を、くり返して思いなやんだり、どうにもならぬ将来の事を案じ煩うのは唯心を痛め身を害うだけで、何のやくにも立たぬ愚かな事である。今日は唯今日の事を、面白く楽しく、神様を念じつつ、正しい心でやって行く。禍も転じて幸いとなる。
…確かにこの頃の私は、まだ「内観ワーク」にも取り組んでおらず、過去の出来事を思い出してはウジウジ落ち込んだり、他人の目を気にしまくっていた。将来に関してなんて、不安を通り越して恐怖心を抱いていた。
でもさ神さま、それを「何のやくにも立たぬ愚かな事である。」ってさ。
あまりに直球な辛辣さで思わず私は笑ってしまいましたよ。でも神さま、感謝の気持ちで受け取らせて頂きました。誠にありがとうございます。
このおみくじには他にも「欲をはなれて人のためにつくしなさい」とも書かれていた。
何故か私の欲深がバレている。
しかし、同じ日に夫が引いた内容はこうである。
今日この日は生日の足日、神の御かげの満ち足る日
元気一杯つとめましょう。今日という日は再び来ない。神の恵みの御光りの足り充ちて、生き生きと生きて輝く楽しい日柄。暗い思い淋しい思いは、朝の拝診の柏手の音に打ち消して、すがしい気持と朗らかな思いで、楽しく、倖せに過ごして参りましょう。
どうだろうか。
おやおや?神さま、夫には文字通り『神対応』じゃありませんか?
とっても優しさに満ちたアドバイスに感じましたが気のせいでしょうか。いや、妬みの気持ちじゃありませんけどね。なんか、ねぇ。
でも、感謝の気持ちで受け取らせて頂きました。ありがとうございます。
数か月後、次に私が引いたのは、これ。
月影を雪かと見れば住吉の 朱の玉がき色も変らず
月影をまるで雪のように見える、しかしさすがに住吉の神だこと、朱の玉がきの色は変わらない、の意。
このみくじにあうひと、現実をよく見て。
対人運:世の中悪人ばかりではありません。
金 運:「とらぬ狸の皮算用」にならぬように。
体調運:とり越し苦労はストレスのもと。
幸運のカギ:丸く白いもの。
どこの神社だかわかってしまうが、そんなことは問題無い。
このおみくじを引いた時、私は、実際に引いたおみくじの番号とは違うおみくじを自分で取ってしまった。
間違って取った番号のおみくじは、文句のつけようが無い位とても嬉しい内容だったため小躍りして喜んでいると、夫が一言
「マオさんが取ったやつ、番号、違うんじゃない?」と指摘した。
「あ…、本当だね。」
嬉しい内容のおみくじをそっと綺麗に元に戻し、本来の自分の番号のおみくじを引いてみた結果が、上記の内容だったのである。
ねぇ神さま、マジで、どこからどこまで見てます?私のことを?w(゚Д゚)w
「このみくじにあう人、現実をよく見て。」って…。
あまりにも私自身にド直球でハマるメッセージだったため、その場で夫と笑ってしまった。
更に、実はこの時の私は、もう他人と関わるのは絶対に嫌だ!ಠ▃ಠと、かなり頑なになっていた。
エヴァンゲリオンのアスカ並みに「嫌い嫌い!みんな、大っっっキライ!!!」状態だったのだ。
それに対して神さまは
「世の中悪人ばかりではありません。」と冷静沈着に教えて下さった。
「とらぬ狸の皮算用にならぬように。」という神さまからの助言。
…私はこの時、ネットで商品を仕入れて、それをまたネットショップで売ってお金を稼ごうと本気で模索していた。海外の卸売りサイトに登録して、「これを仕入れて、いくらで売って…利益がいくらで…」と、商品は未だ全く仕入れていない状態で妄想だけが膨れ上がってしまい、まさに「とらぬ狸の皮算用」状態だったのである!!
もうここまでくると、「神さまは全てお見通しだ。何もかも。ಥ_ಥ」と確信した。
そしてこの日の帰りには幸運のカギ「白くて丸いもの」であるいちご大福を買って帰ったのであった…。
因みにこの日夫が引いたおみくじの内容も記しておこう。
たのみこし神のしるしに浮世をも 住吉とだに思ひなりせば
ずっと頼みにして来た住吉の神様のおかげで、このつらい世の中も住みやすいと思えることだ、の意。
このみくじにあう人、幸福が得られます。
対人運:あなたの心がけなら大丈夫。
金 運:大金は得られません。
体調運:無理は禁物です。
幸運のカギ:赤い御守り。
…もう何も言うまい。これでわかった。
神さまは、夫だけに優しいわけではなく、私にだけ厳しいわけでもなく、恐らく私という人間性を見てメッセージを下さっているのだ…。
私が引くおみくじには「調子に乗らないこと。」とか「欲を出してはだめ。」ということがかなり頻繁に書いてある。
思えば夫の逆鱗に触れて事件(大喧嘩)が起きる時は、必ず私が調子に乗った時だ。
それにほんの少し油断をしただけで私は物欲や自己顕示欲の権化と化し、暴走してしまう。それを神さまは全てお見通しなのだ。
なんとも恥ずかしい気持ちになってきた。
しかしそれが私であるのだからどうにもならない。
2023年、我が家の地元の神社に初詣に行った際のおみくじ「神の教」
塵も積もれば山なす例え、小さな善行積んで行け
神様は不浄をお受けにならない。神様の御心に背を向け、私利私欲で成した地位や財産は時に禍の種となり、片っ端から幸福は遠ざかって行く。誰にでも出来るささやかな善事も一つ一つ積み重ねて行けば、安らかなる神様の御かげに身も心も包まれて、自ずから真の幸福が集まって来る。
………。
一体私は私利私欲のためにどれ程あくどい商売に手を染めるつもりなのだろうか…自分が怖くなる。
しかし、よく読むとこのおみくじには希望も書かれている。
誰にでも出来るささやかな善行を積み重ねて行けば、真の幸福が集まって来る、と!!
これを希望に今後は生きて行こう!!
この時、心の底からそう思ったのであった。
さて、私は2023年の夏頃からスピリチュアルに目醒め、すこぶる調子が良くなって来た。
2024年現在の私は、どんなおみくじを引いているのか?と、このブログを読んで下さる物好きな方はきっと気にして下さっていることだろう。
だが先ずは、2023年の年末頃に引いたおみくじの「神の教」がこちらである。
水に流れず火にまた焼けぬ、変わることなき神の愛
神様にお縋りしましょう。揺らぐことのない心からの信仰を持ちましょう。どんなに苦しくてもどんなに悲しくても、騒ぐことなく慌てることなく、平らな心、清しい心で神様と向き合いましょう。ひたむきに御神語を唱えれば、屹度、御導き下さいます。進むべき道を誤ることなく、心安らかで穏やかな人生を歩めるでしょう。
どうだろうか。
何やら、ずいぶんと内容が変化してきたように思えないだろうか。
この頃からなんとなく神さまが優しい言葉をかけて下さるようになったかも…と、感じ始めていた。
しかしこの時の【学問】の欄には雑念が多すぎるとだけ書かれていた…。
神さまは決して辛辣さを忘れず、最高のスパイスを添えて下さっていた。
最後に、2024年最新のおみくじの発表をさせていただこう。これは5月に行った奈良の大神神社。
まっすぐに天を指す神杉のごとく 毅然とした態度で 正直に生きることが 吉運を招く
神を敬う 心を忘れぬ事が肝心
更に、私の実家の氏神様の総本社が奈良にあったためお詣りした際の内容
このみくじにあう人は
幸せが身に備わって 仕事は順調に行き 才能は充分に顕れ 世にも認められ 願いは達せられる
心おごらず 謙虚に世に 処することが 肝要である
私はこのおみくじが嬉しくて嬉しくて、「神さまー!!これは本当ですかーー!?嬉しいですー!!」と叫び、小躍りして喜んだ。
こんなに最高のことが書かれたおみくじを引いたのは、大げさではなく生まれて初めてだったからである!!
神さまは、ずっとずっといつでも私を見ていてくれていたんだ…o((>ω< ))oと勝手に思い、とても嬉しかった。
辛辣に思えた過去の言葉も、今思えば言われて当然のことばかりである。
今回の内容にも「心おごらず謙虚に」とか「神を敬う心を忘れず」と、お調子者の私に対し、しっかり釘を刺して下さっているのであるから、間違いない。
しかしながら、非常に愚かな私の事である。
きっとまた調子に乗りまくって、大切なものを見失ってしまうこともあるだろう。
それでも、また大好きな神社に行って神さまからメッセージをもらい、生きてる限り何度でも何度でもやり直そう。と、心から思っている。
おしまい
おみくじ何年分も保管してて良かった。最後まで読んで下さりありがとうございました☆彡
コメント