数年前、母の還暦祝いと称し両親と共に軽井沢旅行を決行した。
今日はその旅行中の出来事をお話しよう。
かつて父の還暦祝いの時には、妹含め家族で京都に一泊して観光タクシーで名所を巡った。何故かタクシーのおっちゃんと共に、家族全員が清水寺で満面の笑みで映る写真は私の宝物だ。
さて、母の還暦祝いは何が良いかと思い悩んでいる私に、夫が「軽井沢なんてどう?良さそうじゃない?」と言ってくれた。
そういえば、私の両親はかつて軽井沢で結婚式を挙げていたことを思い出した。
私は幼い頃から両親の結婚式の写真をよく見ていて、父も母も友人たちに囲まれてとても幸せそうだったのをよく覚えていた。
それに何でか知らないが、両親が白馬が引く馬車に乗って教会の参道をゆっくり練り歩くという、まるでイギリス皇室のパレードのような演出も写真に残っていて、私は幼心に「なんか、すごい…。でも、自分だったらちょっと恥ずかしいな。」なんて思ったりしていた。
「軽井沢、良いかも!!父と母が結婚式をした教会に行ってみよう!!なんか、エモくない!?」
そう夫に伝え、「エモさ」がハートの大切な大部分を埋め尽くしている私は、軽井沢への小旅行を独断で決定したのである。
旅行の前日に実家に帰省して、次の日の朝、私の運転で両親と共に軽井沢へと向かった。
この時、妹は仕事で都合が合わなかったため3人での旅行となった。
季節は夏が終わったばかりの秋だった。まだまだ気温は暑かったが、天気に恵まれ幸先のいいスタートを切っていた。
高速に乗りしばらく走っていると、私はあることに気がついた。
父が、なんともリラーックスした状態で、ご機嫌に後部座席で寛いでいるのである。
自分のお気に入りの洋楽をドライブのBGMにして、写真をパシャパシャ撮りながらニヤニヤしていて、口には出さないがまさに『ルン・ルン☆』状態である。
私は何だか面白くて嬉しくて、笑えて来た。
私の父は、父に会った人は皆が第一印象『渋くてカッコいい。おしゃれ。』と言うような見た目である。
話し声は家族で一番控えめで、お上品だ。
母と妹、私の3人が揃ってくだらない話に花が咲きげらげらとバカ笑いしていると、父が静かに部屋から出て来て、もぅうんざり。といった表情で「ちょっと、声が大きすぎ。外にまで笑い声が聞こえてるよ。」と注意してくる。
でも父は本来、おちゃめな気分屋で、とても陽気な性格なのだ。私は思い出した。
釣りやキャンプ、カメラ、バイク、音楽・映画など非常に多趣味で、それらを一人で黙々と楽しむタイプの人である。因みに私は父の好みの音楽や映画から、もろに影響を受けて成長した。
そんな父だが、生きてりゃ人生色々あるもんで、今はゆっくり人生の休憩時間を過ごしているようである。
近ごろは猫のチャー君のお世話に勤しんでいるらしい。
とにかく家族全員がチャー君には甘々なのだが、父もかなりのレベルである。
チャー君が「トイレに行きたい!」とギャーギャー鳴くと、父は黙ってチャー君を抱っこし、トイレまでお連れするという、まるでどっかの国の王様の猫を命を懸けてお預かりしているのか?と思ってしまうほどの甘やかしっぷりなのだ。
加えて父は、自分は具合が悪いにも関わらず、チャー君のためならば、チャー君を自転車のカゴに乗せてお出かけする。チャー君がでかくて重くても、ふらふらになりながらチャリを漕いでいる。
そしてそれをニヤニヤしながら自ら楽しんでいる節がある。ユーモアのある父なのだ。
久々にルン・ルン☆な父の様子を見た私は「そうだった。父は意外と旅行を楽しむ人なんだよな。」と、ボーっと考えていた。
すると母が「次のサービスエリアで休憩しよう!」と言ったので「そうだね。」と、途中で休憩を取ることになった。
サービスエリアの駐車場に車を停めて、私はお手洗いに直行した。だが父も母もお手洗いに行こうとしなかったため、私は二人に「トイレ、行かないの?」と聞いた。
私にとって高速ドライブ中の「休憩」とは、トイレ休憩のことである。更に私はとても心配性な性格のため、もし自分がその時トイレに行きたくなかったとしても、サービスエリアに着いたなら『念のため』と思って必ずトイレには行く。
しかし両親は揃って「行かない。」と言った。私の脳内には「え…??なんで??」と疑問が湧いたが、そこまで気にせずトイレ休憩に向かった。
用を済ませて両親のもとへ戻った私は、一体この短い時間に何が起こったのか?
そこでご当地ソフトクリームを頬張りながら実に満足気に得意気に、リラックス状態でこちらを見る両親と目が合った。
私「え…!?この短時間のうちにソフトクリーム食べてんの!?」
母「うん。お父さんが買ってくれた。(超満足気。)マオちゃんも食べる??美味しいよ!」
私「いや、いい。」
父「美味しいよ。(得意気。)」
しかも両親揃ってめちゃくちゃ寛いでいる。公共の場で。まるで自分家のテーブルかのようにだ。
…この光景を目の当たりにした私は
えっ、もしかして、母が言ってた『休憩』って、本当にこうゆう(リフレッシュ)休憩のことだったのかな…?
リフレッシュのためだけ…の??
と、衝撃が走った。
私がいそいそとトイレ休憩を済ませている短い時間に、私にはとても出来ないであろう高レベルのリフレッシュタイムをこの夫婦は過ごしているのである。
それを見て私は「ずいぶんアメリカンスタイルなブレイクタイムだな…どこで習ったんだろう…。」と、カルチャーショックを受けたのだった。
しかし、何よりその光景がオモロすぎた私は、速攻両親の写真を撮り、リルタイムで妹に報告した。
「トイレから戻ったら仲良くソフトクリーム食ってたw。しかも二人とも超満足気www。」
妹もすぐに反応してくれた。
「なんかお父さんとお母さんって、どっか出かけるといっつもソフトクリーム食べてるよね!?www」
そういえば、妹の言う通りかもしれない。
実家では普段から、アイスを大量に買ってストックしている。
大量にアイスのストックがあるのにも関わらず、母が「父はアイスを食べ過ぎ!」と、こちらがビックリするくらい怒り狂っていたこともあった。アイスに対しての並々ならぬ執着心である。
この母の超激情型怒りのエネルギーと執着心を、良いのか悪いのか私はしっかりと受け継いでいる。どうせなら父のお上品で物静かな話し方を受け継ぎたかったが…。
アイスのストックだけではなく、父と母は、わざわざソフトクリームを食べるためだけに、車で出かけたりもしている。
日常ではノミの鼻クソほどのささいなきっかけで大喧嘩しているくせに、ソフトクリームのためには二人で出かけるのである。もう仲が良いんだか悪いんだか、よくわからない。
「確かに!!何なの!?あの人たち!www」
姉妹しか共感できないであろう可笑しさに、しばらく笑いが止まらなかった。
そんなこんなで、ご機嫌にドライブをしながら、目的地である父と母がかつて結婚式を挙げた教会に辿り着いた。
軽井沢の気温は避暑地と言われるだけのことあり、とても涼しくて快適だった。空気が澄んでいて気持ちが良い。
私たちが到着した時、偶然にも教会で若人が結婚式をしている最中だった。
思いがけず結婚式を見ることができて、自身の記憶と結びついたのだろうか、特に母は感傷に浸っていた。
それから、ゆったりのんびり過ごしながら、過去を思い、今を感じ、それぞれがそれぞれの感傷と向き合う最高の時間を過ごすことが出来て、私はとても幸せだった。
その場を立ち去る時、母は「またここに来れるなんて、夢にも思わなかった。本当に嬉しい。」と言ってくれた。
エモーショナルな気分そこそこに、私たちは次の目的地に向かった。旧軽井沢銀座通りである。
到着してお昼ご飯に大盛りの美味しいお蕎麦を食べて、お土産をみたり写真を撮ったりして過ごしていた。
するとここでも母が「休憩しよう!」とニコニコして張り切り出した。
私は『またかよ!?さっきお昼食べたばっかじゃん!』と言いたかった。が、しかしこの旅行は母の還暦祝いと称している。いつもなら「やだよ。一人で行けば?」と言ってブッた切っているが、今日くらいは母のワガママに付き合ってやろう。そう思った。
母は、自身がかつて行ったことがあるというレトロな珈琲店に入った。
そこで超高級なアイスコーヒーをまさに一瞬で飲み干し、またものすごく満足気な顔になり、満面の笑みで嬉しそうにしていた。
その表情を見ると「あぁ、満足してるわ。よかったな。」と私は思うのだった。まるでどっちが子供なのかわからない。
休憩したり、妹へのお土産を選んだりしながら、あっという間にホテルのチェックインの時間が近づいていた。
今回宿泊するホテルは、いつもとは少し違い変わった体験ができるであろうと、私はとてもワクワクしていた。
何故ならそのホテルは、オーナーの方がイギリス人夫婦で、宿泊する部屋も食事も、全て英国式なのだ。
軽井沢での英国体験!めちゃくちゃ楽しそうではないか!
このホテルを探してくれたのは夫だった。夫よ、いつもいつもありがとう!
ホテルに到着すると、イギリス人オーナーのジュディが、超陽気に私たちを迎え入れてくれた。
「ハロー!!マオファミリー!!初めまして、ワタシはジュディでぇす!ゴユックリドウゾー!」
超明るくて陽気で、大らかなオーラが漂っていた。でもジュディの、目つきだけは恐竜のように鋭かった。
私は「さすがだな。日本人とは何か違うものを持っている。」と、どうでも良い上に適当なことを思っていた。
私たちが泊まる部屋は、めちゃくちゃ広いモダンな壁紙の部屋で、大きな窓からは緑いっぱいの景色を見渡すことができた。まさに癒しの部屋だった。
私は「ヤバー!!最高じゃん!?こんな広い部屋、初めて!!」と早くもテンションMAX。
早速、妹と夫にルームツアー動画を送りつけて、心から満足していた。
英国式の手作りの夕食もとても楽しみだった。
すぐに夕食の時間がやってきた。
ジュディがひとつひとつ料理の説明をしてくれて、楽しく陽気にお喋りもしてくれて、私たち家族はとても楽しい時間を過ごしていた。
幸せな時間が続き、あっという間にメインディッシュのプレートが出て来た。新鮮な野菜や付け合わせの総菜とメインのステーキ肉がのったお皿は、どれも本当に美味しくて感動した。
私たちは、この頃にはもう気分は有頂天だった。ここがイギリスなのか日本なのかもよくわからなくなってしまう位、舞い上がりまくっていた。
すると日常から解放され陽気になり、最高の気分でハイテンションな母がジュディに話しかけた。
「すみません!ジュディさん、このお皿の、これは何のお料理なんですか??」
それはメインのお皿のお肉と共に出て来た、黒っぽい、柔らかい謎の塊だった。
母はメインのステーキを食べた後に、それをガトーショコラのようなものと思いデザート的感覚で食べたのだが、想像した味と全く違ったため、一体これが何だったのか気になったようだ。
すると母から聞かれたジュディは、
「ソレ、ワタシは、ゔぇ!タベナイ!血ーネ!ピッグの、血ーカタメタ、イギリスの料理ネ!」
と、ゔぇっ!とベロを出して不味そうな顔をして見せた。
私「血!?豚さんの!?食べれるのー!?イギリスの伝統料理なの!?」と驚いていた。
それを聞いてふと横にいる母の顔を見ると、今の今まで解放感に満ち溢れハイテンションだった母が、一気に血の気がサーっと引いて顔面蒼白、あまりのショックに能面のような面になってしまっていた。
母「ウソでしょ…デザートかと思って、全部、豚の血、食べちゃったよ…(能面)」
母には悪いが、能面顔が面白過ぎて私と父は笑いが止まらなかった。
母は、このような少し変わった、特に臓物系の料理を普段全く食べない人なのだ。しかしお肉やお魚は美味しく頂けるという、ツッコミどころ満載の謎の感覚である。
臓物系を一切食べられないのは、母の並外れた想像力が原因らしい。
想像力豊か過ぎるが故に、食品サンプルみたいな、実際は蝋で作られた料理の見本みたいなものにも、かなりの嫌悪感を示す。母曰く、「本物と思って食べたら全部蝋だった時の気持ち悪い感じをリアルに想像すると吐きそうになる」らしい。
超個人的なただの妄想から嫌悪される食品サンプルや動物たちの臓物が少し不憫に思えてくる。
私は「最初から豚さんの血ってわかってたら食べれなかったでしょ?こんなに生きて来て初めての体験ができたんだから、良かったじゃん!!私も食べてみるよ!」
母「………。(能面はもう喋らない)」
ショックを受けて撃沈した母を全力で励ましながら、なんとか食事を終えて部屋に戻った私達は、早々にお風呂に入って寛ぎタイムを過ごし、今日の出来事を振り返っていた。
そして「明日は帰るだけだけど運転もあるし、今日は早く寝ようか。」と、早めに寝ることにした。
「おやすみー。」と言い合って電気を消し、眠りについた。
しばらくすると、父が眠りについたであろうことがイビキで確認できた。
そして私の隣のベッドで眠る母を確認すると、何やらいつもと違う異音を出していた。
ここで重要な話をさせて頂くが、私の母は長年『睡眠時無呼吸症候群』である。
そのため、皆さまご存知だろうか。母は昼寝の時も旅行の時も、寝る時には必ずシーパップ(CPAP)が欠かせない。
わからない方は是非調べてみて頂きたい。
母は「これをつけて寝ている姿は絶対に誰にも見られたくない!!」とか、私に「シーパップのこと、絶っ対に夫ちゃんには言わないでよ!!」といつも必死に言うのだが、それは無駄な抵抗である。
むしろシーパップのおかげで自分の命が救われていることに心から感謝し、相棒として心から愛し、愛された方が良いのではないかと、本当に私は思っている。
ただ、たしかにシーパップを装着しているその姿は、なんでか面白いのだ。
話を戻すが、母から聞こえるいつもと違う音とは、このシーパップの異常音だった。
この時、シーパップがいつも正常に働いてくれている時には聞いたことのない音がずっと聞こえていた。
私は耳を澄まし、その音に全集中した。
すると、「ゴゴゴゴゴゴゴ………ズーズーズズズズーー………ゴゴゴゴゴゴゴ………」
と、まるで母の寝床で道路工事をしているかのような音がシーパップから出ているではないか。そしてひたすらこの音を繰り返していたのである。
「明らかに異常音がしている。けど…お母さんは寝てるようだな。平気なのかな…」
こうなったら最後。私は無駄に繊細な神経を持っているため、その音がどうしても気になってしまい、それから全く眠れなくなり、長い一夜を孤独に過ごすことになるのである…。
眠れない間、YouTubeを観たり、音楽を聴いたりして過ごしていた。
しかし、イヤホンをしているのに、シーパップの異常音が気になって集中出来ない。ついでに父のイビキも気になってきた。相変わらず素晴らしいイビキである。
今でもハッキリ憶えているが、私は幼少期、両親のイビキがうるさすぎて夜中に起きてしまったことがある。
あまりに両親共にイビキがうるさいため、気持ちが悪くなってうんざりした。イビキが怖すぎて泣いた記憶もある。
次の日、私は昨夜の出来事と新たな決意を母に語った。
「今日から一人で寝る。」
その時まだ2歳だった。母は心底おったまげていた。
しかしこちらとしては、「もう昨夜のような目に遭いたくない」と、心の底から思ったが故の断固たる決意だった。
当然のことだが、父も母も、私が一人で寝ることに猛反対した。
「まだ2歳なのに一人で寝るなんて、やめた方が良い。こわいでしょ?」と両親は必死に私を説得した。
しかし私は「こわくない。一人で寝る。」と、頑なだった。
私の断固たる意志に負けた両親は、「夜中に怖くなってそのうちまた一緒に寝るようになるだろう。試しに一人で寝かせてみよう」と思い、許してくれたらしい。
こうしてその日から、父の部屋に布団を敷いて一人で寝ることになった。その後両親と共に寝ることは全く無くなり、ひとり快適に眠ることができるようになったのだ。
眠いのに寝ることが出来ない状況にイライラしてきた私は、2歳の時のこの出来事を鮮明に思い出していた。
更に、どうしたって眠れない状況に絶望し始めていた。
最終的に『ミッシェルガンエレファント』のLIVEアルバムを爆音で聞きながら、シーパップ音と父のイビキを強制的にカットして眠ろうと試みた。
するとシーパップの音も父のイビキもかき消されだが、今度は思いっきりでかい爆音で激しいガレージロックがギャンギャン耳に流れているため、眠れる筈がなかった。
私は「もう、無理だな。」と白目になり、睡眠を完全に諦めたのであった。
諦めてから何時間経ったのだろうか、遂に夜明けが近づいてきた。
「あぁ、もう夜明けか。おはよう。地球。」と思いながら、部屋がぼんやりと青白く見えて来ているのを感じていた。
この頃にはもうミッシェルガンエレファントはとっくに聞き飽きていた。
かわりにくるみさんという方のYouTubeチャンネルの、あつ森動画をイヤホン垂れ流しにしてボーっと聞いていた。あつ森は今でも私の最強癒しツールである。
すると、いつの間にかシーパップの異常音が鳴り止んでいて、この上ない静寂が部屋中に訪れていることに気がついた。
「お母さんが起きたのかな…」
私のベッドは一番ドア側にあり、左を向くと母のベッドが見えるのだが、見ていても横になった母はピクリとも動かなかった。しかしシーパップの異常音は確実に鳴り止んでいた。
この異常音が止んだことは、私を心の底から安心させてくれた。
私は「やっっと、少しだけ寝れるかも…神さま、あの音をどうにかしてくれてありがとう…」と喜びに満ちていた。
しかし次の瞬間、母が何の前触れもなくいきなりむくっと起き上がった。
そして部屋の奥を向いたままベッドに座り、またピクリとも動かなくなったのだ。
「この人、なにしてるんだろ…」
やっとシーパップの異常音がしなくなったのに、次は母の異常行動が気になり始めてしまった。
母を見続けていたが、座ったままピクリとも動かなかった。
普通の人間は起き上がったなら、家族が起きているか確認してみるとか、伸びをしてみるとか、何かしらの「動き」があると思うのだが、ピクリとも動かずにただ座っているのだ。
それに母は私にその行動を全て見られていることにも、全く気がついていない。
私は始めは可笑しくて笑いを必死に堪えていた。しかし、10分も経った頃、何だか不安になってきた。
「え、座ったまま寝てんの?何なの??なんで座ったまま動かないの??何かに憑依された…??」
すると10分以上経過して、やっと母が動き出した。トイレに向かったのである。
私は「何だったんだよ。もうどうでもいいわ。今のうちに、寝てしまおう。」
そう思い目を閉じた。
一瞬でアラームに起こされた私は、眠くて眠くてボーっとしてしばらく動けなかった。
やっと起き上がると父と母は既に起きていて、お互いに「おはよう。」と言い合った。
私は二人に「眠れた?」と聞いてみた。
父「うん。すぐ寝た。」
母「私も、すぐに寝ちゃったみたい。」
と言っていた。
私は内心「そうだろう、そうだろう。」と思いながら、昨夜どれだけ私が苦しい一夜を過ごしたのかを事細かく、思いっきり語ってやろうとしたその時、母が先に語り始めた。
「もうさぁ、マオちゃんとお父さんのイビキが凄すぎてさぁー!私本当にびっくりしちゃったぁ!!クスクス☆ちゃぁんと動画に収めちゃいましたからねーー!!ww」
私「おい、ちょっと待て。誰のなにが凄かったって…?」
母「だぁかぁらぁ、マオちゃんとお父さんのい・び・き!!」
そう言って、今朝方に母が自ら撮影したという動画を見せて来た。
その動画は、薄暗ーい部屋の中、母の顔面ドアップからスタートする。
母「おはよーございまーす☆(満面の笑み)」
そう言いながら父と私の無防備な寝姿を、容赦なくゆっくりと舐め回すように撮影し、薄暗い部屋から恐竜の鳴き声のような素晴らしいイビキが響き渡っているという動画だった。
最後にはまた母の顔面ドアップが出てきて、母は笑いを必死に堪えていた。自分の口を手で塞ぎ、この上なく楽しそうな笑顔である。ご丁寧にも、窓から覗く美しい朝の景色まで完璧に押さえ、動画は締めくくられていた。
私「………………。」
先程述べたが、母は自分のことになると「シーパップをつけて寝ている姿は絶対に誰にも見られたくない!!」と言いまくり、自分のプライドを保っている。だがその割には、他人の寝ている姿は平気で撮影してそれを心から楽しんでいる。一瞬、母の人間性を疑いかけたが、
『今度、絶対にお母さんの面白動画を撮ってやろう。』
と思いつき、新たなワクワクが生まれた瞬間であった。
そんな決意も知らず、母は本当に嬉しそうに「ね!?すっごくないー!?わたしのレポートも、良い感じでしょ!?本当に可笑しくて、堪えるの大変だったんだからぁー!!」と言った。
もうここまでくると、バカらしくてこちらも心の底から笑えてくる。
私は、爆笑しながら昨夜の出来事をぶちまけた。
そして判明したのが、母は朝、座ったまま瞑想していたらしい。
マジで時が止まったように見えてビックリしたのと、終いには心底不安になったことを笑い過ぎて泣きながら話した。
こうしてジュディとお別れをして軽井沢にも別れを告げ帰りの岐路につき、無事に家に辿り着いた。
帰りに父が買ってくれた釜めしのお弁当をお昼ご飯に美味しく食べて、母の還暦祝いと称した軽井沢旅行は終わったのだった。
この日、妹が仕事を終えて実家に帰って来てくれた。
私は妹の登場を心待ちにしていた。この旅行中の出来事をいち早く話したかったのだ。
特に母の異常行動の話はおもしろ過ぎて妹と共に涙を流しながら笑いあった。心の底から面白い時、私は号泣してしまうのだが、この時も涙がボロボロ溢れて止まらなかった。
妹とヒィーヒィーと言いながら、泣いて笑った。本当に最高だった。
妹よ、次に軽井沢に行く時は、必ず一緒に行こうね。聞いてくれてありがとう。
おしまい。
またジュディに会いに行きたい!最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました☆
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